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アジアの新星となった本田圭祐、失意の帰国の周海濱

2010年3月16日、サッカー・ヨーロッパチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦第2戦・セビリア対CSKAモスクワの1戦が開催された。日本代表MF本田圭佑は1ゴール1アシストの大活躍。新たなアジアのスター誕生を中国メディアも大きく取り上げた。18日付東方早報は本田の歩みとその成功とを大々的に報じている。

第1回戦、ホームでの試合を1対1と引き分けで終えたCSKAモスクワ。アウェイゴール規定により、第2回戦は勝利か、2対2以上の引き分けという厳しい条件での戦いに臨んだ。困難な環境を自らの輝きに変えたのが本田。前半にはショートパスで先制のアシスト。その後、セビリアがゴールを決め同点に追いつかれたが、後半にはゴールキーパーのミスを誘う強烈なフリーキックで決勝ゴールをあげた。

海外で成功の道を進む本田。しかしここまでの道程は決して順調なものではなかった。2008年1月、オランダリーグ・VVVフェンロに移籍するも、チームは降格。同年夏に開催された北京五輪で日本代表は3連敗に終わり、本田もオランダ戦でPKを献上するなど苦汁をなめた。しかしその後、本田は自らの力で運命を変える。チームの一部復帰の原動力として活躍し、22歳(当時)の若さでキャプテンを任せられまでになった。そして今年、900万ユーロ(約11億2000万円)もの移籍金で、ロシアリーグのCSKAモスクワに移籍した。

2009年夏、オランダ2部リーグMVPを獲得した本田には、同国1部の強豪から移籍の引き合いがあったという。その一つにPSVアイントホーヘンがある。同クラブには中国代表MF周海濱(ジョウ・ハイビン)が所属していた。将来の中国代表を担うと絶賛された逸材は2009年2月に移籍、しかし試合に1試合も出場できないで日々を過ごしていた。

PSVのサポーターからは「本田と周を交換しよう」との声もあがっていたという。本田と周、2人はともに北京五輪世代。対戦した経験もあるが、当時、周は勝りこそすれ劣るところはなかったというのが中国人サッカーファンの感想。周は結局1試合も公式戦に出場できないまま、中国リーグに復帰したが、ネットにはどこでこんな差がついたのかとぼやく声も見られた。


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