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<ウルムチ騒乱>民の「勝利」が悲劇をもたらす=皇帝独裁下のポピュリズム(完結)

本エントリーは「民意が国を滅ぼす時=血の報復を叫ぶ市民」「皇帝とポピュリズム=現代中国の政治文化」「官に「声を届ける」こと=陳情からマスメディアへ」の続きです。

「上訪」、そしてマスメディアの「声を届ける機能」は、恩恵を施す官という存在を担保するためには不可欠なルートであった。しかしその回路は開かれつつもきわめて細い入り口しか開いてはいなかった。

「上訪」には北京市など「声を届ける」相手の居住地にまででかけなければならないというコストが必要となる。マスメディアへの訴えの場合にはこうしたコストは不必要となったが、しかし「声が届くかどうか」がマスメディアの(そしてそれを監督する政府の)きわめて恣意的な判断に左右されるという点では「上訪」と変わらない存在であった。

こうした既存のルートと異なる性質を持ったのが携帯メール、そしてインターネットだった。ついに人々は自らの声を直接発する方法を手に入れた。もちろんその声を聞くかどうかの選択肢は権力者の手にゆだねられている。しかし人々の情報発信は「声を届ける」相手を特定して行われるというよりは、むしろただその場で叫び続けると比喩されるもの。その声に同調して叫ぶ者の数が増えればついには権力者も耳を背けることのできないものとなる。

余りに理想的にインターネットを捉えているのではと思われるかも知れない。しかしこうした叫び声の集まりがついには政府を動かした例はいくつもあげることができる。2007年のアモイPX事件や2008年の上海市リニア建設反対運動(それぞれ2007年12月21日付レコードチャイナ2008年1月15日付レコードチャイナを参照)、今年に入ってからも70碼事件、そして玉嬌事件で、ネットを通じた「声の集まり」が政府の対応を変える「勝利」をもたらした。

玉嬌事件を伝えた本ブログのエントリー「「司法の知恵」を許していいのか?官僚刺殺事件の「勝訴」に問われる良識」では、「勝利」を無邪気に喜ぶ市民の声に疑義を呈した。すなわち「勝利」はあくまで権力者の慈悲がもたらされた結果であり、「法治」という観点からは逆行するものであったからだ。

そしウルムチ騒乱が起きた今、中国のインターネットにはどのような声が叫ばれているのか。ウイグル人への報復、少数民族として優遇措置を受けてきた歴史を批判する声があふれかえり、権力者も無視できない状態になっている。もし今回、再び市民の声が「勝利」するようなことになれば、その結末はあまりにも無残なものとなるだろう。

10日、新華社ははじめてウルムチ騒乱の民族別死者数を明かした。漢民族が137人、ウイグル人が46人と発表されている。ほぼ3対1という割合はネットに響き渡る声に最大限に配慮し、熟考したうえで決定された数字ではないのかとも疑わせる。

一方、ネットでは死者一人一人の名前を確定していく作業が進められているようだ。個別の死者に寄り添う哀悼の行為自体は決して間違ったものではないが、着地点を求めた政府発表を揺らがすものになること、そして死者の物語について理解することがより深い怒りを呼び起こすことになるだろう。こうした声の高まりに中国政府はどう判断を下すのだろうか。

ここまで解説してきたような中国の政治文化にあって、もし民の声がゆがんだ方向に暴走した時、「血の報復」を求めた時、慈悲深き権力者はどのような行動をとるのか。そこに「皇帝独裁下のポピュリズム」が立ち現れるのかもしれない。



以上で終わりです。計4本にも及ぶ、長すぎるお話となってしまいました。全部読んでくださった方、本当にお疲れさまでした。ちょっと大上段に過ぎたかなと反省しておりますので、ご容赦ください。


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